泡沫のユメ

どこからでも読める金太郎飴みたいな短編小説書いていきます

あの子の秘密

「ずるいわね~マラソン大会休むなんて」

 

寒空の下身体を鍛えるという名目で、この時期体育の時間にマラソンをするのはもはや恒例になっていた。そしてその努力の成果を見せろと言わんばかりに、マラソン大会は冬の一大イベントとして毎年行われている。わざわざ冷たい風の中を走るなんて、誰が望むの?と思いつつも、夏に汗だくになりながら走ることを考えたらどっちもどっちだった。

私はというと、白い息を吐きながら走るクラスメイトたちをよそにゴール付近で待機していた。こんな過酷な環境で2周だか3周だか走るのは全くもって意味がわからない。壁にもたれているとはいえ立ちっぱなしは疲れるな、と思いどこか座るところがないかと辺りを見回すと、同じクラスの色白男子が一人近くの段差に座っていたのを見つける。

 

「清水さんも休んでるじゃない。一緒だよ」

「私はお腹が痛いの。ずるじゃないわ」

「えー?さっきまで鼻歌口ずさんでなかった?」

 

ウソだあ、と笑う彼―沖は、柔らかい笑みを浮かべていた。沖は普段体育の授業はほとんど見学をしていることから日に焼けていない肌を持ち、話すときは穏やかで、いつもにこにこと笑っている。

こりゃ女子たちがイチコロになるはずだわ。今時こんな優男そうそういないだろう。クラスの内外、時には他校の子たちですら沖が好きと言っているのを聞いたくらいだ。私は親しみを込めて王子と呼んでいる(本当は親しみ半分、からかい半分だけど)

 

「ま、王子がサボりじゃないことぐらい皆わかってるわよ」

「そうかなあ?だといいんだけど」

 

汗をかき白い息を吐き出しながら走るクラスメイトのことを考えながら、穏やかな会話をしていることに若干の罪悪感を感じつつ、よく皆ズル休みしないなあ、と思った。全員がズル休みをしたらマラソン大会なんて成立しなくなってしまうんだろうけど、むしろ成立せずに今後一切中止してほしいものだ。 

 

「でも、羨ましいよ。みんな思いっきり運動できて」

 

 冗談を言い合いながら、隣の空気が少しだけ澱んだような気がした。

 

 「まるで運動しないんじゃなくて、できないような言い方ね」

 

沖がじっとこちらを見て、それからゆっくりと微笑んだ。お返しに私も口角を上げる。わずかに沈黙が流れたが、どちらも言葉を発しようとはしなかった。

 

「…聞かないんだ?僕がいっつも体育の授業見学してる理由」

「聞いたら答えてくれるの?」

「どうだろうね」

 

全くずるい言い方をする。まあ、その答えはなんとなく検討がついているけれど。 答え合わせをしないことには、はっきりとはわからないもので。ここではぐらかすということはおそらく答える気はないのだろう。そして、体育を休んでいることに理由はあるのだろう。

知りたい、と思った。

普段彼はにこにこと微笑んでいるばかりで、あまり”我”を出そうとはしない。それがもしかすると今、垣間見えるように感じて胸が高ぶった。

 面白そう。穏やかな少年の闇とは一体どんなものなのか。

 

「まあ…そんな大して面白くない話だから。それよりトップ集団がそろそろくるんじゃない?」

 

あっさりと話を終わらせて沖は言った。大会が始まってから時間にして約40分。足の早い人であればもうじき見えるころだろう。冷たく動きにくくなった体を温めるべく立ち上がった。

 

「残念。王子の秘密知りたかったのになー」

 

言いつつ伸びをして、ゴール地点に向かってゆっくりと歩きだす。マラソン大会を休む私は、代わりにゴールテープを持っておく仕事を任されたのだ。おそらくそれは沖もなのだろう、同じく私の数歩後ろをついてくる。

 

「清水さんだって秘密くらいあるでしょ」

「そりゃ乙女には秘密の1つや2つあるわよ」

「男にだって1つや2つあるよ」

「王子にはないと思ってたのに…王子は私たちに隠し事なんてしないと思ってたのに!」

「面白い人だなぁ」

 

先生にゴールテープをもらい、皆が走ってくるルートをぼんやりと見た。まだ人影は見えない。白い息が小さく消えていった。

 

「え!雪降ってる?」

 

寒いと思ったら頭上からちらちらと雪が降りそそぐ。雪や雨なら大会は中止になるはずだけど、あと少しで皆がゴールするのなら続行になるだろう。こんな中で立ち尽くすなんてごめんだ。早く建物内へ、せめて屋根のあるところに逃げたい。しかし悲しいかな、周囲は見晴らしが良く屋根になるものがほとんどなかった。

 

「ほんとだ」

「お腹痛くなってきたから帰る」

 

本当にお腹が(というか寒すぎて鼻とか耳が)痛くなってきた気がする。

 

「あ、待って、僕もオナカイタイ…」

「はい仮病」

「そっちこそ」

 

変に息の合った会話に思わず笑った。王子はどこまでいっても王子なんだから。

 

「あれ?ゴールテープねぇの?俺1位だよな?」

 

後ろから疑問の声が上がったので振り向くと、三ツ原は息を切らしながら立っていた。

あ、もう先頭集団きてたの?

雪に翻弄されて三ツ原にも気づかず、ゴールテープも間に合わず、何のためにここにいたんだ私たち。なんだか面白くて笑ってしまった。同じように沖も笑い出して、もう何が何だかわからなかった。今だったら何でも笑ってしまいそうだった。

 

「何がおかしーんだよお前ら?」

 

そうやってたずねるぽかんとした顔の三ツ原がまた面白くて、でもこうなった経緯を説明するのはちょっとめんどくさくて。

 

「ひーみつ!」

 

と言って私たちは逃げ出した。ここにいたらきっと笑いが止まらない。ゴールテープを持つという仕事もなくなったんだからここにいる理由もない。

残された三ツ原がぽつりとつぶやいた。

 

「変な奴ら……」